【写真はある程度の真実を映し出してくれますが、目に見え写真に写せるものが全てではない】
実家は写真館でしたが、その大きなスタジオが建っていた場所が元々、長らく北海道に屯田兵で
入植したものの身寄りなく亡くなられた無縁仏の墓苑だったところらしく、幼少の頃より
数えきれないほどの「現象」に日々見舞われてきたこともあり、事ある度にカセットテープで
読経を流し、季節ごとに山伏の法螺貝も早朝に響き渡るという特殊な環境でした。
昔のTVで夏にはよく特番されていたホラー番組などは「それほどでもない…」と感じる訳ですので
お察しいただけるかと存じます。
何せショウウィンドウ越しに”火の玉 ”がユラユラ仲良く?重なってこちらに向かってくるのは
珍しいことではなく、暗室のラジオがついたり消えたり、誰もいないはずの2Fのスタジオを歩く
足音は下の茶の間で家族全員が耳にしても誰も気にすることはなく、仏具が消えたり扉が開くのは
日常茶飯事でしたが、具体的なことは今晩寝られなくなるといけませんので控えたいと思います。
事程左様に私はいわゆる「見える聞こえる臭う」タイプでしたので、街で有名な「拝み屋さん」
にも複数通い、もの心がついた時には離婚をして出家をした尼さんから薫陶を受けて育ちました。
また、首都圏で写真学校に通いはじめて間もないころ、学校の先輩が危険な遊びの中事故に遭い
頭が割れて脳が外にこぼれてそのまま帰らぬ人になりました。
改めて、いとも簡単に逝ってしまう人の死を目の当たりにし、随分といろんなことを考えさせられ
ましたが、その意味をどう還元できるかという思いで制作活動を俯瞰し仕切り直しました。