動画はデジタルインフラの分母となりました。
待ったなしの生産性向上というウィークポイントに
動画というソリューションを配置するお手伝いが
使命だと考えております。
北海道のへその街で写真屋の息子として育ちました。
北海道ではおそらく3本の指に入る老舗の写真屋3代目として
育ちましたので、子供の頃の遊び場は「暗室」でした。
仄暗くて独特の臭いがジメッと立ち込める暗室は、
子供の遊び場としてはある意味で宇宙のようでしたが
その宇宙は、私に少し変わった感性を紡いでくれました。
写真学校では何故かシナリオまで学び、叔父のスタジオの
アシスタントをする傍ら健康食品会社の広告部門に19年
在籍しておりました。
かつてのフィルムカメラ時代は大判も扱いましたが
現在は、スチール撮影のみならず映像表現全般を
手掛けておりマルチ対応が可能です。
制作の熱量は勿論のこと最も大切にし、意識することは
「家族軸」「映像言語による伝わりやすさ」「余韻」です。
<小学6年の夏の不思議な出来事>
これは今でも鮮明に思い起こされる
私が小学6年の夏休みに体験した不思議な出来事です。
家から3町ほど離れた所に住んでいた従妹が
急に56キロ離れた都会へと引越すことになり
それまで双子のように生活していた環境が一変する
私にとっての大事件が起こりました。
お別れの日が来て、男の子ながらに頬を伝う涙をぬぐい
何か言わなくてはとドギマギする私をよそにニコッと
手渡されたものは、11歳の涙を吹っ飛ばすには十分な
破壊力がある劇薬だったのです。
引越し前に従妹が担任から渡されていたそれは
あろうことか近い未来に、つまり2学期の期末に訪れる
はずのテスト一式と学年最後のテスト一式でした。
汚れなく手を切ってしまいそうに真っ新なそれは
午後の木漏れ日に照らし出されて、汗ばんだ
私の手の中で文字が光り輝いており、これからの人生の
何かを根底から変えてしまい兼ねない代物に映りました。
私はこの2回のテストを12才の良心に抗いながら
時々100点にしつつもちゃんと「ひっかけ問題」
には引っ掛って、突然変異、上位互換の学年3位で
やり過ごすことになります。
このことから学んだのは
「答えの知っている人間は決して負けることがない」
という社会学でした。
世の中には、常に問題点や改善点が山のように山積し
波のように押し寄せてきます。
「押しつぶされ流されてしまうかどうか」は
「たどり着くべき答えにアクセスできるかどうか」で
違ってくることになるでしょう。
でも大概の“問題”は、はじめに“答案ありき”で
セットになっています。
目に見えそうで見えないウェブの海原で、たとえ今までは
見合った効果を実感できず、何となく漠然と遠回りを
感じてこられたとしても、ここからはデジタルインフラに
専用のバイパスをご用意し自由度高めの編集で驚きの満足を
享受させていただきます。
御社のウォンツにアジャストし
同軸で並走する映業プロモーター
Yes & Design32